「疲れました」
「もう限界かも」
X(旧:Twitter)で発達障害のあるお子様を育てている親御様のつぶやきをみているとこのようなつぶやきをよく見かけます。
親として、お子様の困りごとを理解しようと一生懸命なのに、それがお子様になかなか伝わらない。
普通の子育てと何が違うのかさえ、わからなくなってしまう。
そんな心情になってしまうのかもしれません。
この心情から、親御さんが心から疲れてしまうのも無理はないのでは、と私は考えます。
発達障害などの診断がついても、療育施設などで支援を受けていても、家でお子様と向き合うのは、親御さんご自身です。
「これでいいのか分からない」
「ずっと怒ってしまって自己嫌悪になる」
「感情の余裕なんて持てない」
Xでよく見かける言葉の裏側には、もしかすると【がんばっても報われない】日々のしんどさが隠れていることが多くあるのかもしれない、と私は考えています。
また、音楽療法士である私は、そうした気持ちに出会うたび、「何かひとつでも、力を抜ける場所を持てたら」と考えています。
音楽は、すぐに何かを解決する道具ではありません。
ですが、ときに人の気持ちを少しだけ和らげたり、言葉にしづらい感情にそっと寄り添ってくれることがあります。
音楽療法も、そうした【音の余白】を生かす支援のひとつだと私は考えます。
「何をしてもうまくいかない」と思ったその日に、ふと耳にした音楽で気持ちが落ち着いたり、お子さんの声のトーンが少しだけ変わったり。
それは大きな変化ではないかもしれませんが、親子の毎日にとって、大切な“ゆるみ”のきっかけになることがあります。
音楽療法は、いわゆるピアノレッスンの音楽教育のように上達するような訓練ではありません。
私の音楽療法では、今ある親子の状態を否定せず、まるごと受け止めることを大切にしています。
「楽しく関われる時間がない」
「お互い笑い合うことが減ってしまった」
そんな風に思ってしまったときこそ、音楽のように“押しつけない関わり方”が、心にしみ込むことがあるのでは、と考えています。
音楽療法は、治療や矯正の手段ではなく、親子が少しだけ「安心」を思い出せる時間を持つための選択肢でもあると、私は考えています。
発達障害のあるお子さんの育児は、予想できないことの連続で、本当に大変かと思います。
私は音楽療法士という立場で、たくさんの親御さんの「疲れた」を見てきました。
そして同時に、「ちょっと気持ちが前向きになったかも」という言葉も、何度も聞いてきました。
お子様が音楽を特別に好きでなくても、得意でなくても大丈夫。
もし今、毎日に行き詰まりを感じているなら、“音”というやわらかな可能性があることを、知ってもらえたら嬉しいです。
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